うつ病・パニック障害の専業主婦が考えていること

病歴10年以上の専業主婦が、もがきながらなんとか病気と向き合っている日々を、気が向いたときになんとなく書いているブログ

 

渾身の手紙

6~7年前、父に手紙を書いた。

当時の主治医に勧められ、

3週間悩み、

3時間かけて書いて、

投函したあと1週間寝込んだ。

当時、私の体調・精神状態は最悪だった。

家族とは数年間、絶縁状態だった。

実家とは飛行機に乗らないと行き来できない距離にいた。

当時付き合っていた人と同棲をしてたんだけど、

主治医からは『共依存』の関係だと言われていた。

その時の彼は、自分が私の病気を治すんだ、と思い詰めていた。

私は、少しでも彼と離れるのが不安で不安で、彼の自由を奪っていた。

今のままではダメだ、このままでは二人ともダメになる、なんとかしないと。

それだけはわかっていたけど、どうにもできない状態。

そして、主治医は決意した。

私に、父への手紙を書かせる。

主治医も気付いていた。

私の病気の根源に父親との関係の悪さがある、と。

そこをなんとかしないと、このままでは何も進展しない。

『出すか出さないかはまた別の問題。

とにかく今の想いを手紙という形で吐き出してごらん。』

それはいい考えだと思った。

でもなかなか踏み出せなかった。

だって、誰かに手紙を書くということは、

書いている間中ずっとその人のことを考えるということ。

書いている間中父のことを考え、父との過去を見つめるということ。

父に対して、

それまで生きてきた中で父との関係がいかに辛かったかを書くんだから、

そんなのしんどいに決まってる。

主治医に勧められてからもなかなか書けない日が続いた。

診察の日、

『書けませんでした』

という報告。

『焦らずね。出すかどうかはあとから考えればいいから』

と言われた。

そんな時、私は自分の中の限界を超え、救急車で運ばれる事態になった。

退院して、彼と一緒に主治医の元へ行った。

まずは私が診察室に呼ばれた。

主治医は暗い顔。

『今度の診察でまだ手紙を書けていないようだったら、

私から親御さんに電話をしようと思っていたんだ。

手紙、書いてごらん』

次に彼が診察室に呼ばれた。

あとから聞いた話によると、主治医は彼に、

『あなたにはあなたの人生がある。

このままだと共倒れになってしまう。

少し考えてごらん』

と言っていたらしい。

もう限界だった。

3週間かかったけど、意を決して手紙を書くことにした。

3時間、カフェで書き続けた。

書いている最中から気持ち悪くなり、吐き気がしてきた。

それでも書き続けた。

小さいときにぶたれて育ち、それが嫌だったこと。

中学生の時に『2人目は男の子が欲しかった』と言われて傷ついたこと。

あとは何を書いたのかな。

便箋7~8枚は書いたはずなのに、あんまり覚えていない。

書いていたのは、

『こんなことが辛かった』『このくらいしんどかった』

だけど、

今思うと、伝えたかったことはただ一つだけ。

『もっと愛されたかった』

これだけだったんだと思う。

なんとかカフェから家に帰り、そのまま布団の中に倒れこんだ。

そのまま1週間、寝込んだ。

そして、1週間後、やっとの思いで投函。

もう着いたかな、もう読んだかな、どう思ったかな。

落ち着かない日々。

からしばらくぶりとなる電話が掛かってきた。

『あんたね、誤解してるよ。

パパがあんたをぶったのなんて2~3回しかないんだよ』

そうだったんだ。

その2~3回がよっぽどの恐怖で強烈だったから、

何度もぶたれて育ったっていう記憶にすり替わってたんだな。

『男の子が欲しかったって言ったのは、やっぱり覚えていないんだって。。。

でも、そんなことないんだよ』

やっぱり覚えていないんだ。

気になるのは父の反応。

あの手紙は父宛てに書いたのに、母から電話がきてる。

ここにもやっぱり家族としての不自然さが出てるよね。

『「そんなことないのにな」って言ってたよ』

それだけ?

『あんたとずっと連絡取ってなかったけど、

あんたと話すといつも喧嘩になるから、

話したくないって思われてるんじゃないのかなって思って』

そう思っていたのは私の方。

私と話したくないって思ってるんじゃないかって。

救急車で運ばれたことも話した。

『あんたが死んだらママ、これからどうやって生きていけばいいの!』

泣き叫んでいた。

まるで自分のお葬式を見ているようだった。

きっと私が死んだら、母はこんな風に泣くんだろうな。

『一回うちに帰っておいで』

これがきっかけで実家に帰省することになった。

主治医に話すと喜んでいた。

家族との絶縁状態が解消された。

母からはちょくちょく電話がくるようになり、

姉からは、リリー・フランキーの『東京タワー』が送られてきた。

それでも、父とはあいかわらず直接連絡を取り合うことはなかった。

でも、これはもともとそうだったから。。。

私の想いが伝わっただけでも良しとしなきゃ。。。

こんなかんじで、渾身の力を振り絞って書いた手紙は一応家族の仲を復活させた。

今でもこの母との電話でのやりとりを思い出すと涙が出てくる。

これを書きながらも涙が。

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