できたことに慣れない
桜が散り始めている。
このGW、彼氏さんと愛犬ちゃんと大きな公園に桜を見に行ってきた。
大きな桜の木の下には、
立派な一眼レフカメラで熱心に写真を撮るおじさんや、
お母さんとちびっ子を並ばせて記念写真を撮るのに必死なお父さんがいたり。
のんびり語ってる若い女の子二人連れが座っていたり、
お母さんと娘さんに連れられてうれしそうなわんこがいたり。
芝生には、
自転車を止めて一休みしてる年配の夫婦が座っていたり、
シートを広げて寝転んでるカップルがいたり。
みんなみんな、
長い冬が終わってやっとやってきた春を思い思いに満喫していて、
『the 平和』ってかんじの風景があちこちに転がっていた。
そんな桜も、そろそろ散り始めている。
あんなに待ち焦がれていたのに、散るのはあっという間だね。
大好きな桜、咲いて散るまでがあっという間だから、
春の間中、ず~~~~~っと咲いていればいいのにっていつも思う。
でもきっと、
あっという間だからこそ、
みんなこんなに楽しみにしていて、
こんなに必死に楽しもうとするんだよね。
だから、春の間中咲いていたら見慣れてしまうんだろうな、
あるのが普通になって、
立ち止まって見上げることもなく、
桜の横をす~っと通り過ぎたりするんだろうな、
なんてことも同時に思う。
毎年のようにこんなことを思う。
公園からの帰りの車の中、ぼ~っと考え事をしていた。
『これって、私の病気にも言えるんじゃないかな』って。
すっごく調子が悪いときは、
ちょっとでも何かができたらすごくうれしくて、
自分で自分を褒めてあげられる。
夜ご飯のサラダが作れただけでもうれしくて、
自慢げに彼氏さんに報告したり。
洗濯物の山を切り崩せたらすっごい達成感で、
干されている洗濯物の柔軟剤のいい匂いが、
まるでご褒美みたいに部屋に充満してて。
なのに、ちょっと調子が良い日が続いたら、それが当たり前になる。
サラダなんて作れて当たり前、他のおかず何にしようか悩んでる。
普段の洗濯物を洗うのは当たり前、なかなか洗えてなかったシーツやマットを洗ってる。
もちろんできるようになったのは良いことだし、
次のステップに進めてるってことだけどさ。
でも、できることを『当たり前』に感じ始めたら、
同じことができても、できたときの喜びを感じられなくなって、
自分を褒めてあげられるまでのハードルが高くなってくる。
前はどんなに小さなことでもあんなに喜べたのに。
もしも春の間中ずっと桜が咲いていたら、
桜が咲いてることを『当たり前』に感じる。
雪が溶けてきた喜びも、
つぼみを見つけた時の喜びも、
つぼみが開いた桜を初めて見つけた喜びも、
春の間中咲いている桜を見ていたらきっと忘れちゃうんだろうな。
だからやっぱり、あっという間に散っちゃってもいいんだ。
うん。
公園からの帰り道、車の中でこんなことをぼ~っと考えてた。
調子がいい日が続いても、できた時の喜びを感じる心を忘れないでいたいな。
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