躁状態の突っ走り旅行~その6『母の心子知らず』
夜行バスで京都に着いてから、たっくさんの一瞬の出会いがあった。
その中の一つが、金閣寺からの帰りのバスの中で出会った女性。
たまたまバスで隣の席になった。
その女性は、京都市内のバスの路線図を一生懸命眺めてた。
またしても躁状態で人恋しい私は、
『どちらに行くんですか?』
と、声を掛けていた。
当たり前にびっくりした女性は、びっくりしながらも、
『京都駅に行きたいんだけど、このバスでいいのかなって…』
と。
その時点で京都中をくるくる回ってた私は、いっちょまえに、
『こうこうこうだから、こうですよ』
なんて教えてあげて。
そこから話がはずんで、私がうつで求職中で一人旅中なことを話した。
もちろんびっくりされた。
その女性も旅行中で、
『実はね、後ろの席に娘が座ってるの。一緒に座るのイヤがって。』
と、恥ずかしそうに、寂しそうに教えてくれた。
びっくり。
一緒に旅行してるのに、バスの中で一緒に座んないなんて。
ケンカでもしたのかな。
『反抗期っていうのかな。なかなかむずかしくて。』
って。
あ~、私にも覚えがあるよ。
あの時期は親がうざったくてたまらなかった。
でも、こんなに優しそうなお母さんなのに。
なんて考えて、つい、
『私にもそういう時期ありましたよ。
あまりにも憎くて、これ以上嫌いになりたくないから、事故で死んじゃえばいいのにって考えてました。』
って話した。
そうだった。
そんなこと考えてた時期があったんだ。
本気で。
『今では母がいてくれてホントに良かったって思ってます。
だから、娘さんも、今はこうでもいつかきっとわかってくれますよ。』
って、願いも込めて話した。
そのお母さん、泣いちゃった。
よっぽど張りつめてたんだな。
そうだよな、母親業もしんどいよな。
ありとあらゆる言葉でせめたてられたり、
一生懸命やってることも当たり前だと思われて感謝もされなくて。
バスで隣に座ってもくれなくて。
見ず知らずの私の、かなりありきたりな励ましの言葉で泣いちゃって。
私の母も、こんなふうに張りつめてたんだろうな。
なんか、、、ごめんね。
なんて二人でしんみりしてたら、そのお母さんが降りる停留所に着いた。
『ありがとう』
って言われた。
こちらこそありがとう。
そのお母さんを見送ってたら、中学生くらいの女の子が私に頭を下げてきた。
ちょっと微笑んでた。
この子かぁ、娘さん。
私も頭を下げた。
なんだ、素直そうな子じゃん。
そのまま降りてくこともできたのに、わざわざあいさつしてくれた。
きっと後ろから、私とお母さんが話してるのを見てたんだろうな。
そうそう、そうやってお母さんの後ろ姿を見て、子どもは育ってくんだよね。
あんなに優しそうで一生懸命なお母さんに、こんなに素直な娘さんなら、いつかきっと向かい合うことができるね。
もう少しのしんぼうだね。
私の母も、ずっとしんぼうしてくれてたんだろうな。
ありがたいな。
なんて、このほんの一緒の出会いで、母親のしんどさを少しだけど知って、ありがたさをすごく思い出させてもらえた。
そして、この記事を書いている今、それをまた思い出すことができてる。
この縁に感謝。